年末のご挨拶

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今年も一年があっという間に過ぎていきました。
気がつけばブログのアップもほんの数回、お粗末な結果に終わってしまいました。内容はといえばもっと恥ずかしいのかも。
完全な自己満足で書いているシロモノとはいえ、インターネットにアップしている以上、ある程度のクオリティと更新は維持しなければと思いつつも、できないままに今年が暮れていきます。
来年は心を入れ替えますと宣言できないところがツライのですが、こんな気ままなブログでもお目に留めていただけるなら幸いです。来年もどうぞお付き合いお願いいたします。

今年は「道成寺」「くるす桜」「松風」拝見、幼い方の初舞台拝見、「面塚」訪問、「観世宗家」展を京都と名古屋でそれぞれ拝見、「夢幻能」展も拝見、と近年に比べれば収穫がありました。いっぽうお稽古は全然進まず、いまだ「百萬」が終わらない…。
他の美術展は「あいちトリエンナーレ」はほぼ制覇したほか、「ハイレッド・センター 直接行動の軌跡」展「高村光太郎」展が私的にはトピックでした。手帳を見てみると相当数の展覧会を見ています。その割に作品の評価はあまりいただけず…。
今年は「インプットの年」だったのかもしれません。

所属する美術団体のスケッチ会で奈良・飛鳥に行ったことも大きな満足でした。
イメージだけで奈良・飛鳥を敬遠してきた人々にその魅力を伝えられたのは、私にとって嬉しい体験でした。旨い料理と酒とのどかな景色、遠い昔にも今と同じように人々が暮らしたその地を肌で感じること、「今現在」だけが全てではなく、「過去」と「未来」と通過点に私たちが存在することをわかってもらえたのではないか、と思います。
田舎から日帰りで正倉院展と唐招提寺・薬師寺・垂仁陵まで私たちを連れ出した、高校の日本史の先生。彼の気持ちはきっと今の私ならわかる気がします。

お能も同じ。「くるす桜」は20人のミニツアーをお世話させていただきましたし、友人はお能を定期的に見てくれるようになりました。少しでも私の言葉や行動がそのきっかけになっているならばこんな嬉しいことはありません。

さあ、来年はどんな年になるのでしょうか。
時計の針がかちりと動くだけなのに、私たちの気持ちは改まります。改まる=新たなる…。とてもよく似た言葉ですね。
来年もどうぞよろしくおねがいします。

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くるす桜2013

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8月7日、岐阜郡上大和・明建神社の「薪能・くるす桜」に行ってまいりました。明建神社の例祭「七日祭り(なぬかびまつり)」の夜に行われる薪能で、今年24回目を数えます。
以前にもこのブログに書きましたが、今年8年ぶりに現地を訪れて、「くるす桜」「田村」など、杉木立の中でのお能を堪能する事ができました。

「田村」は時間の関係で間狂言を省略してありましたが、前シテ味方團(まどか)師の童子は若々しくも気品ある姿、後シテは父上・味方健師の威厳ある大将軍・田村丸でした。
桜を愛で、千手観音の霊験と功徳を讃える勝修羅のお能は、仏の加護による勇壮な勝ち戦と桜の美しさの対比、また征夷大将軍の嚆矢・坂上田村麻呂が主人公…武家の世の中ではさぞや喜ばれたことでしょう。京都・清水寺の創建を語り、東山連峰の名所を教えるのもお能の物語の類型のひとつですが、ポピュラーに過ぎて今まで見た事がなかったので、新鮮でした。
お装束のあでやかさも目を惹きました。童子の白地丸紋の縫箔に萌葱色の水衣を取り合わせた主張の強い着付。田村丸の法被・厚板・半切に繰り返される稲妻文様が武将の強さを際立たせます。唐団扇に透冠という異装にも惹き付けられました。

「くるす桜」は当地の領主、さらには歌学の最高峰の極め「古今伝授」の大成者である東常縁の霊が、妙見宮(明建神社)の桜の陰から現われて、連歌師宗祇と交わした歌を披露し、歌の種・心の種を絶やすなと言い残す…。昭和63年に初演となった「くるす桜」は謡曲としてしか伝わってこなかった曲を味方健師が改作したお能です。
間狂言も、当地の庄屋と旅の連歌師が妙見宮の桜の下で常縁を偲び、句を案じあい、「花冷えじゃ、くっさめ」と館へ帰って行くという可笑しみと風情に満ちたものとなっています。
こちらは健師の長男・玄(しずか)師が朗々と句を詠じ、大和舞を優雅に舞い納めます。面はこのお能のためにだけ制作された「常縁」。武将の精悍さと和歌に通じた文学者の知性も感じる端正なもの。装束は紺地に大きな車文様を散らした直衣に浅葱にこれも車文様の浮き出た指貫、武家の証の梨打烏帽子に桜の花をかざし、紅入の中啓があでやかでした。

仕舞の「網之段」は「桜川」からの抜粋で、子を探す母が狂って桜の落花を網で掬う様を、「高野物狂」は妙見信仰つながりと思われる真言宗高野山での狂いをそれぞれ見せて、健師の碩学らしい曲構成に見ごたえがありました。
狂言「成上がり」は時間短縮のあおりか後半を端折ってしまったので、本来の面白さが半減してしまい残念でした。

なによりも、演じられる能の舞台の土地その場所で上演できる幸せは、演じる側にとっても観る側にとっても何物にも代えがたいものです。
常縁が宗祇に古今伝授を授けたのはこの妙見宮、そして目の前の栗栖川の対岸の山上には常縁の居城・篠脇城がありました。妙見宮は東氏(千葉氏)が移封に際して下総国から奉じてきた氏神でもあります。
土地の川魚や名産を味わい、昼間に奉納される「七日祭り」の神事を見て(獅子と天狗の無言劇)、山の端に日が沈み、なお消え残る蝉しぐれのなかでお能を見る。
そのお能を照らすのは、800年余燃え続ける郡上・千葉家の囲炉裏火と白山山頂や篠脇城址での採火を点火した篝火。
すべてが郡上大和ならでは、8月7日ならではのものなのです。この地この日にだけ、演じた者・観た者だけが全身で享受する感動を少しでもお伝えできていればいいのですが。

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瓊花

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瓊花(けいか)は鑑真和上のふるさと・中国揚州の花。
隋の煬帝が愛したゆえに門外不出となったものを特別に分けてもらった、と立て札がありました。
初夏5月、唐招提寺の講堂の裏手、奥まった鑑真廟の側に、異国の花・瓊花はこんもりと咲きほこっていました。

芳香がします。ディオールのディオリッシモに近い香りのように感じましたがどうでしょうか。白い花は萼紫陽花のようでもありながら、もう少し優雅で可憐です。
売店ではこの花の香りのお線香を売っていましたが、まったく香りが違います。

松尾芭蕉の「青葉して御目の滴ぬぐわばや」の句碑も近くにありますが、私にはその奥の新宝蔵にある「唐招提寺のトルソー」のほうが気になります。
むっちりとした豊満な体に天衣の精緻な流れるような襞。頭部と臂部が欠損していますが、優雅だったであろう全体像を忍ばせます。どんな仏像より、私にはこの像がいちばん尊く思えます。堂々とした金堂の十一面千手観音も大日如来もおごそかで素晴らしいけれど、このトルソーはそっとそばにいてほしいような優しいお姿なのです。

古い記憶です。唐招提寺のかすかなエンタシス柱の回廊の陰だったか、新宝蔵の軒下だったか、「唐招提寺のトルソー」よりももっと損傷の激しい仏像の残欠が展示されていたような覚えがあります。
もしかしたら唐招提寺ではなく、薬師寺か他のお寺かもしれません。テレビか本で見たのかもしれないのですが、簡素な解説パネルがついていたのも覚えています。展示場所、そのぞんざいな扱い、生々しい木の裂けた断面…整った姿、うやうやしく本堂内陣や厨子に収まった仏像しか知らなかった幼い私には衝撃だったのだと思います。
その哀れな姿が聞きかじっていた自己犠牲を説く仏典と重なり、唐招提寺のトルソーの記憶とない交ぜになって、私には忘れられないのです。

6月5日から9日まで、鑑真生誕日に合わせ鑑真和上像が御影堂で特別公開されます。東山魁夷の襖絵も同時に拝観できるのでオススメです。今年は10月にも特別公開されるようです。

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面塚

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今年に入って怒涛の展覧会が3つ続き、時間があっても気分的に余裕が持てずにいました。あちこちでかけてはいたのですが、文章にする気力がない…情けないことです。
さすがにこのままではまずいと思いなおしまして、短くてもぼつぼつ書いていくことにします。

面塚。
この地にある日、翁面とネギが突然降って来たといいます。
そのネギは「根深ネギ」となって農民を救い、その翁面を埋め塚を築いたものが「面塚」。能の観世流は「結崎座」としてこの地から一座の歩みを始めたとのこと。
河川改修などで何度か場所が変わっているとのことですが、訪れたときには地元の方が清掃をなさっており、塚の周囲にある広い公園の一角では、小さな能舞台のようなあずまやに腰掛けて年配の男性が一人で謡のお稽古をされていました。
私にはそんな度胸はないので…帰り道の堤防を歩きながらそっと謡いました。口を衝いて出たのはなぜか「熊野」のクセ「立ち出でて峯の雲 花やあらぬ薄桜の 祇園林下河原」でした。

「観世流発祥の地」との立派な石碑もあり、塚の周囲の玉垣には錚々たる能楽師の名前が刻まれています。観世銕之丞、梅若六郎、片山九郎右衛門…我が師のさらに師匠にあたる林喜右衛門の名もありました。
桜の老木が周囲を囲い、季節柄緑陰が深く暗く、ささやかな藤棚には短かな花房が一枝揺れていました。

中学の修学旅行。奈良・京都のお決まりコースでした。
何日目だったか、猿沢池のほとりに宿泊した夜、「薪能が催されているから、希望者は申し出なさい」といわれて、見に行きました。当時はお能のことなど何となく知っているだけ、演目も何も覚えていませんが、篝火のなかにぼうっと浮かび上がる能面と鈍く光る装束の印象だけは残っています。
それこそが平安時代に起源を持つ「薪御能」だったと知ったのは、お能のお稽古を始めた30歳を過ぎてからでした。興福寺南大門跡の般若の芝で舞うお能。はからずも私のお能体験は、薪能のルーツの地から始まっていたのでした。

今年は4年ぶりに5月17日18日と般若の芝での「薪御能」なのだとか。今は興福寺の境内整備の最中だそうで、その恩恵を受けて「南円堂・北円堂秘仏公開」も開催中だとか。時間がなくて奈良公園周辺は断念したけれど、またそのうちに訪れてみたいと思います。

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今日から

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そろそろヴェネツィアはカーニバルの季節です。宗教的な意味合いもあるといわれていますが、現代においては観光行事になっている感も強いとか。いずれにしても、ヴェネツィアを象徴するお祭りであることは間違いなく、劇場都市とはよく言ったもので、街中どこをとっても芝居めいた趣きがあって、仮装や仮面が似合うように思います。
いつか心浮き立つカーニバルの時期にヴェネツィアを訪れたいという希望も、心のどこかにまだ眠っています。こういう気持ちはいつまでも大切にしておきたいと思います。

今年も5月に開催する展覧会の準備が始まりました。
毎年恒例、年に1回開催するグループ展で、すでに17回目。前身のカルチャーセンターの発表会を含めれば20回目となります。
その準備のための打合せ会は毎年この時期に開催します。
今年はランチしたあと、ちょっとだけ作業をして夕方には解散しました。いつもはだらだらと深夜まで飲んで食べて延々喋り続けるのですが、今年は短時間でぐっと絞まった打合せ会になりました。
もう慣れているので段取り自体は確認するだけ、メールやらパソコンやら便利なこのご時世にわざわざ集まる必要もないのですが、ゆっくりランチをしてお喋りしてスイーツをつまんだりお茶を飲んだりしながらの作業。それが楽しいのです。
途中、会場を提供してくれたメンバーの息子さんが野球練習から帰ってきましたが、彼も今年は中学生。一年ぶりに会ったのですが、急に背が伸びて足の長い、ちょっと声変わりし始めのイケメン少年になっています。
思えば彼が生れる前どころか、彼の両親が出会う前から私たちはこの打合せ会を年一回やっているのでした。

独身ばかりだったメンバーも、妻となり母となり、転居あり転職あり、もちろんいまだシングルもいますし、諸事折り合わず作品制作をやめた人も、新たに参加した人も、また心ならずも病魔に倒れて世を去った人もいます。
そう思うと、ずいぶん長い間続けて来たなぁとしみじみしてしまうのですが、それだけ長い時間をかけて育ててきた大事なものだと改めて思います。
お互い元気だろうか、どんな作品を作ろうとしているのか、仕事の愚痴から家族の話題まで、会って顔を見ながら確認したいと誰もが思っているようで、毎年異常なほど盛り上がりますが、例年より2~3人出品者が少ないので焦燥感もあったようで、続けることの大切さ、ただ作品制作だけでつながる緩くてベタベタしない人間関係をかけがえなく思っている、今年はそんな話題に終始しました。
一回休んだら次の年は作品は作れなくなるかもしれない。
そんな危機感は作品を作っていれば常に付きまといます。そんな病には仲間という薬が良く効きます。皆に置いていかれたくない。今年はどうしたの?と心配されたくない。そんな気持ちも多々あるのではないかと思います。
打合せ会は、作品を作り展覧会を続けるための大切な儀式、特効薬なのです。

さて今年はどんな展覧会になるのか。今日から戦闘開始です。

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新年

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新年のお慶びを申し上げます。天候は荒れ模様でしたが、今年も穏やかな一年になりますように。

すでに新年会・仕事始めも終えましたが、世間様は今日あたりから本格始動でしょうか。
今年も一番でも多くお能を見て、いい作品を作り、喜んでもらえる仕事をしたいを思います。

今年は平家物語に続いて義経が登場するお能を勉強したいな、と思っています。今後ともどうぞよろしくお願いします。

昨年秋に山中湖から見上げた富士山です。色彩が刻々と変化するのが興味深く、もっと描きたいなあ、と思ったぐらいでした。腰掛けていたコンクリートブロックの硬さ冷たさに耐えかねてついついレストランに逃げ込みましたが(笑)。

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船弁慶

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やや季節・場所はずれますが、波・海つながりと言う事でご容赦下さい。志摩・波切の台風一過の海です。岩礁に砕ける波は太平洋だからこその迫力かもしれませんね。

さて、大河ドラマも最終回の放映が済みました。最後はひとり平家の血筋を残した池頼盛の回想として駆け足で義経の最期までをみせたようです。
数十年の間に大きく社会が変動した時代が舞台ですから、複雑な人間関係とエポックの多さ、史料も雑多で大変な苦労があったことでしょうが、個人的には平家物語とお能について考えるいい機会になりました。

「船弁慶」はふたつの場面が前シテ・静と後シテ・知盛の霊によって描かれます。ワキは弁慶、子方が義経、この二人は変わりません。そして船頭を狂言方が勤めますが、これも変わりません。
前場は、頼朝から疎まれて京都を撤退する義経と静の離別が主題です。
「二人静」では義経との別れを回想として描きますが、船弁慶では現在進行形、それも静は「ついてくるな」といわれて、それが弁慶の独断だと疑って義経を責めるのです。頼朝の勘気を解くために義経は女連れでは申し訳が立たないと離別を決めたのですが、いざ静と対面するとその決意もぐらつきます。
この微妙な男女の機微を子方とのやり取りで描こうというのですから、前シテたる静を演じるには相当の力量が要ると思われます。色気も悲しみもあり、決心も秘めて静は白拍子の姿で中之舞を舞い、退場します。
義経主従は船を漕ぎ出し、摂津の沖に差し掛かると空が突然暗くなりただならぬ海面の騒ぎよう、船頭はそれまでのどかに船唄を唄っていたものを必死に波を越えようとします。やがて、海上には怪しの者が現れます。後シテ・知盛の幽霊が、義経主従と知って襲いかかってきたのです。
「その時義経少しも騒がず」という決まり文句は、ここで子方が精一杯の声量で謡います。作り物の船から一歩も出ずに、義経は、長刀で襲い掛かる知盛怨霊と切り結びます。弁慶はざらざらと数珠を繰り護法の諸仏に祈りを捧げ、船子たちは漕ぎ抜けようと必死の働き、舞台は騒然ともり上がります。
長刀を持っての立ち回り、黒頭を被り、鍬形をつけ(クワガタムシの語源でしょうか)、跳び安座あり、大変な運動量です。前シテと同じ役者が演じますが、このギャップはすさまじいものです。

怨霊は波に流され消えてゆくのですが、ここには救いもなく悟りもなく、また夢幻の広がりもなく、静の優雅な姿と、知盛の迫力ある活劇だけがあります。
前場・後場と複式とはなっていますが、夢幻能ではなく、現在能つまり時間軸のはっきりした、現在進行形のお能となっています。
作者は観世小次郎信光といわれていて、世阿弥から三世代ほど後の時代の人です。「紅葉狩」「安宅」も彼の作といわれており、その多くは時間経過がはっきりしていて、見せ場が多く、ショー的なお能なのでわかりやすく人気があります。時の為政者や民衆のニーズに合わせた演出だったのでしょう、足利時代も末期に当たると思われますが、世の中はまた騒然とし始めていました。

情念が籠もるのもお能であり、また活劇として人々を熱狂させるのもお能であり、わくわくと民衆が手に汗を握って歓声を上げるのもまたお能です。見る側にとっては豪華で優雅な舞と豪快な立ち回りが両方楽しめてお得ともいえましょう。平家物語を知っていれば面白いとは思いますが、「きれいだな」と静の舞を眺め、亡霊との「チャンバラ」でスカッとする、というのもお能の醍醐味です。
ただわかりにくいだけではなくて、こうしたエンターティメントに徹したお能もあるということを知っていただければ、と思います。

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